-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013-11-29 01:00 | カテゴリ:城・史跡
11/16 岩村城攻めのつづき・・・記憶がかなり曖昧です(^^;

この企画は、昼食までの予定だったんだが・・・
三宅先生の「希望者がいたら城下町も案内します」のお言葉に、これを逃す手はない!と同行させていただくことに(^^)d

上町常夜灯から、恵那特別支援学校方向へ。
20131116_11.jpg

岩村川に架かる橋から奥に、狭い削平地が見える。
あそこには牢屋があったそうだ。
あんなとこに入れられたら、夏はジメっと、冬は極寒だなぁ・・・
20131116_42.jpg

石垣が残っている。この辺りから城内(?)になるようだ。
20131116_43.jpg

恵那特別支援学校のグランドに沿って西側へ行くと、当時の石垣が残っている箇所がある。
グランドから2mちょっと低くなったところだ。
草が生えていてよく見えないが、近くに寄ると石がわかる。
写真ではわかり難いかな(^^;
20131116_44.jpg

盛厳寺の前に出て、車道を北上する。
20131116_46.jpg

織田信長の岩村城攻めの際に、嫡子信忠が陣を置いたと言われるところを(現在:大将陣公園)を左手に、大名墓所の方へ曲がる。
この道が、城内で一番幅の広い道。馬場だったところ。
写真ではわかり難いが、正面奥の白い建物の奥に、太鼓櫓が見えている。
20131116_48.jpg

え~っと、ここはなんだったかな(^^;
古地図に残っている水路の一部分が見れる。(だったかな?)
20131116_49.jpg

大名墓所には、初代岩村城主丹羽氏信を含む丹羽氏四代、松平家乗の歴代城主や、分家松平氏や家臣の墓がある。
20131116_54.jpg

紅葉がキレイだった~
20131116_52.jpg

鉄砲鍛冶の加納家へ。
初めて来た時は中に入れなかった。2011年に恵那市所有となってからの一般公開かな?
土間上部の壁面は煤で黒くなってるのかな?と思えるが、火を使ったようなところがないとか???
20131116_59.jpg

戸外に五右衛門風呂がある。
これも当時のものなのかしらん?
20131116_58.jpg

家紋の橘と丁字がデザインされている。
20131116_60.jpg

屋根の鬼瓦は狛犬になってる。後姿がかわいらしい♪
防火の意味で「水」と書かれたものや巴紋が多いが、狛犬は珍しい。
20131116_62.jpg

最後は下町枡形。
昨年来た時には看板はなかった・・・じゃなくって、特設ステージがあったから見えなかったのかっ!?
20131116_5.jpg

枡形は、道を直角に折って真っ直ぐ入れないようにすることで、敵が容易に侵入できないようにしたり、中を見通せないようにすることができる。
20131116_7.jpg

20131116_6.jpg

三宅先生のご案内はここで終了~
最後に記念撮影をして、先生とお別れ。ありがとうございましたm(__)m

この後「かんから餅」を食べに行ったのだが・・・直前でまさかの売り切れ~(T_T)
甘味は松浦軒でカステーラと栗蒸しようかんをゲット♪
因みに、「かんから餅」はこんなお餅です。
20131116_64.jpg

こーして楽しい一日は終了~
岩村は、城&城下町の両方を満喫できて、何度行ってもいいなぁ~♪
まだまだ探検したいところはあるので、また攻めま~す(^^)

ちょっとオマケ・・・

朝の城下町。
枡形を過ぎた辺り、正面奥の山が岩村城だ。
20131116_8.jpg

城下町の家の軒。
軒先がもっとあったらしいが、車が通るようになってからカットされたそうだ。
20131116_41.jpg

城下町の薬局。この看板が好きなんだぁ♪
20131116_10.jpg
スポンサーサイト
2013-11-29 00:08 | カテゴリ:城・史跡
11/16 恵那山麓博覧会[えなか]プロジェクト
「岩村城案内の達人&城ガール隊といく日本三大山城・岩村城攻めツアー」に参加しました。

岐阜県恵那市にある岩村城、初めて行ったのは2009年の春。
それまで「城=天守」、「城跡=何もない」と言う感覚だったのだが・・・
岩村城に来て「城跡はめちゃ楽しい♪」と思い、「山城」と言うものを知った。
そして、日本三大山城制覇→中世五大山城制覇リーチ(のまま)→山城大好き♪ となったのでR。

今回で5度目の訪城となるが、まだまだまだまだ奥が深~い城。
初めて踏み込んだところを主に追ってみる・・・

案内役の恵那市教育委員会の三宅氏を先頭に、16名(だったかな?)の参加者が後に続く。
一の門よりだいぶ手前だったか、入れるとは思ってもいなかったところへいきなり突入!!
最初っからテンション上がりまくりだ!!
奥に続く削平地は結構広く、左手を見上げれば切岸高く!!
20131116_13.jpg

切岸に沿ってUターン(だったよ・・・ね?)する格好で一旦登城道へ戻る。
今まで気が付いてなかったが、こんなとこに竪土塁!
土塁の先には土止めらしき石積みがある。
20131116_15.jpg

土岐門から大手門へ。この辺りはテンションが更に高くなるよね~♪
大手門の石には矢穴がある。
20131116_17.jpg

三重櫓跡辺りでニヤニヤして更に進み、八幡曲輪上の神社へ。
二重櫓があった場所には、石が見えている。
20131116_19.jpg

そして、この辺り(か?)から下へ。
結構な傾斜だ!ムリそうなら上で待つように言われたが、誰も待つ人はいない!
みんなポールもなしでガンガン下りて行く!スゴイぞみんな!
20131116_20.jpg

削平地があって、先には堀切が見えるらしい。
下りた地点から回り込んで、八幡曲輪下の屋敷跡へ出る。
そして、八幡櫓跡辺りから更に下へ・・・慎重に慎重に・・・
ぬぉ~っ!!竪掘り?と一瞬思ったが、石垣の真中が崩れ落ちてるとの事。
石垣内の裏込め石がよく見える!!ふむふむ、こんな構造なんだね・・・
20131116_21.jpg

20131116_22.jpg

下りてきたところをよじ登り、菱櫓へと進む。
と、ここで、左手にある「入っちゃや~よ」とばかりに柵(?)が置いてある俄坂門の奥へ!
20131116_23.jpg

途中、虎口と思しき箇所や、石を切り出した跡のようなところもあり、ウハウハしていたら集団から取り残されて説明を聴き逃してしまったよ(^^;
それじゃダメじゃんw
20131116_24.jpg

20131116_25.jpg

20131116_27.jpg

来た道を戻り、今度は二の丸!!
うはぁ~っ♪日頃は入れないとこにガシガシ入って行けるなんて!超感激!!
20131116_28.jpg

弁天池の中央は、石垣で四角く中島が作られている。
岩村藩駿河領広野から勧進された弁才天が祀られていたそうだ。
現在は大通寺の隆崇院に移されている。
20131116_30.jpg

ここまでが、初めて踏み込むんだとこ。
結構見たけど、まだまだ見ていないところはいっぱい!
いやぁ~っ、岩村城って奥が深いわぁ~♪

埋門から本丸へ。
この埋門で攻城妄想し、城跡の楽しさを知ったのだよ~♪
ここを通る敵は、櫓の中から狙われ放題(^w^)
20131116_32.jpg

真っ青な空♪
とぉ~~~くの山は冬化粧してたよ~
20131116_33.jpg

岩村城と言えば、やっぱり六段壁♪
これを初めて見た時の衝撃は大きかった♪
20131116_35.jpg

本丸北側の鎬角部分。
石を積んだ後に削って整えてるそうだ。
20131116_37.jpg

南曲輪の堀切できゃっきゃ♪
20131116_36.jpg

火薬庫跡の方を通って下山。
石畳は滑りそうで超慎重になるが、みんな早いなぁ~(^^;

お昼ごはんは城下町の「いづげん」で岩村城弁当♪
容器が天守だよ~♪
20131116_39.jpg

中身はこんな感じ。
美味しくいただきました♪
20131116_40.jpg

後編へつづく・・・
2013-11-18 23:52 | カテゴリ:
2日目の朝は・・・雨・・・天気予報は外れませんね~(^^;
状況を見ながら、臨機応変にコース変更ありでスタート~

天理駅から石上神宮を目指す。
途中、「川原城会館」の名前に反応!
つぶやいてみたら、フォロワーさんが調べてくださいました!ありがとうございますm(__)m
なんでも、日本歴史地名大系に「『大和志』に『川原城村塁址』とみえ、中世、川村正武居城地と伝わる」とあるそうで、やはり城があったようです。

進んでいくと、破風がいっぱいある建物が見えてきた。
そう、天理と言えば天理教。天理教教会本部の施設。
破風のある屋根部分も部屋があるのかなぁ?それとも単なる飾り?
20131110_2.jpg

そして、神殿も破風多し!
20131110_3.jpg

そんな天理教教会本部の脇を抜け、しばらく進む。
着ました!!石上神宮!!
20131110_4.jpg

後醍醐天皇の文保2年(1318年)に建立された楼門(重文)に、
20131110_9.jpg

永保元年(1081年)に白河天皇が鎮魂際のために、宮中の神嘉殿を寄進された現存最古の拝殿に、
20131110_0.jpg

鳥羽天皇の永久年間(1113-1118年)に創建された内山永久寺から移築された拝殿(国宝)と、貴重な建物がいっぱいだ!
この拝殿、真ん中が通路のように開いているのは珍しいそうだ。
20131110_5.jpg

摂社には、出雲建雄神をご祭神とする出雲建雄神社、万物を産み出す神の高皇産霊神(たかみむすひのかみ)と神皇産霊神(かみむすひのかみ)をご祭神とする天神社、七座をご祭神とする七座社がある。
境内には天然記念物の長鳴鶏(ながなきどり)の一種の東天紅(とうてんこう)や烏骨鶏(うこっけい)など30羽のニワトリがいる。
20131110_6.jpg

お参りをし、御朱印と起死回生の霊力がある御神劔守を頂いて、いざ山の辺の道へ~
と、この時点で雨は小降りに♪
行けるとこまで行っちゃおう!ってことで、正倉院展は来年へ持ち越しw

石上神宮に移設された拝殿が元々あった永久寺跡。
石上神宮の神宮寺として盛時には大伽藍を誇っていたそうだ。
明治の廃物毀釈で廃寺となり、わずかに池を残すだけとなっている。
20131110_11.jpg

この先道幅が狭くなり・・・と、んっ?途中から車道に出た・・・こっちからは一般道もありなのね~
20131110_12.jpg

夜都伎(やとぎ)神社
春日神社と縁故深く、春日から若宮社殿と鳥居が下げられるのが例となっていると伝わる。
(写真は拝殿)
20131110_14.jpg

コスモス畑を通り、竹之内環濠集落へ。
20131110_15.jpg

建武3年(1336年)の春日神社文書の記録にも現れる古い集落。
集落の周囲に濠をめぐらす環濠集落で、現在も濠の一部を残す。
20131110_16.jpg

次へ向かっている途中、萌え~なマンホールに出会ったぁ~♪
人のように見えるのは、神様?卑弥呼さま?イシュタルかも~♪と妙なテンションにw
20131110_17.jpg

途中古墳らしきものがちらほら。
住宅地に入る手前に、西山塚古墳がある。
なんと、古墳はミカン畑になっている!!つー事は私有地かっ!
そして、濠には金魚がいっぱいいる~
20131110_19.jpg

大和古墳群の看板があった。
FULL2も歩けば古墳に当たる状況だwww
20131110_18.jpg

西山塚古墳から萱生環濠集落の入り口まで戻り、山の辺の道を離れて次の目的地へ~
20131110_20.jpg

途中、栗塚古墳、西ノ山古墳、下池山古墳を見る。
栗塚古墳、西ノ山古墳はミカン畑になっている。
20131110_23.jpg
20131110_21.jpg

下池山古墳の濠には、これまた金魚の大群!!
養殖してるのかな?
20131110_22.jpg

古墳群を抜けて、大和(おおやまと)神社へ。
戦中は、戦艦大和の守護神として祀られた神社で、戦艦大和の長さは参道の長さとほぼ同じ270mだそうだ。
20131110_24.jpg

日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千弋大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(おとしおおかみ)をご祭神とする。
ちらりと見えるご本殿の屋根がカッコイイ!!
20131110_25.jpg

またちらちらとミカン畑と化した古墳を見つつ、長岳寺五智堂を過ぎて・・・
20131110_26.jpg

黒塚古墳に着ました♪
前方後円墳のクビレに萌え~♪
20131110_27.jpg

古墳展示館もあり、ボランティアガイドさんに館内の石室のレプリカや、銅鏡のレプリカを説明していただいた。
20131110_28.jpg

その銅鏡の中に、あのマンホールのデザインの元であろうものに出会ったぁ~♪
もぉ~っ大興奮だよぉ~!!
(参考:前出の記事→ http://full1207.blog.fc2.com/blog-entry-839.html)
dokyo_2.jpg

この辺りは室町時代には柳本城があり、天正8年(1580年)に織田信長に破却された後、元和2年(1616年)には織田長益(有楽斎)の五男尚長が陣屋を構え、廃藩置県で柳本藩が廃止されるまで続いていた。
くびれ部には、城郭として利用された掘割の跡が検出されており、その部分をわかりやすく舗装してある。
20131110_31.jpg

昨年3月の奈良大学オープンキャンパスで、千田先生と昇太さんの話しに上がった城跡だった古墳に似ていいたが、看板の感じが違ってたな・・・他にもいっぱいありそうだから違うかな・・・

空が再び怪しくなってきたので、陣屋跡に残る石垣を確認できないまま、1時間に2本の電車に乗車~
巻向で下車、雨が降ってきた~纒向古墳群へ急げ~

先ずは纒向石塚古墳
3世紀初頭の築造と考えられ、全長99mで後円部径、前方部長の比率が2:1の纒向型前方後円墳だそうだ。
太平洋戦争中に高射砲陣地の設営目的で、埋葬施設とともに墳丘の上部が大きく削平されている。
20131110_32.jpg

纒向勝山古墳
石塚古墳と同様に、3世紀初頭の築造と考えられ、全長115mの纒向型前方後円墳。
20131110_33.jpg

纒向矢塚古墳
こちらも同じく3世紀初頭の築造で、全長93mの纒向型前方後円墳。
20131110_34.jpg

東田大塚古墳
全長120m、箸墓古墳に次ぐ墳丘規模だが、南西に伸びる前方部が大きく削られている。
箸墓古墳とほぼ同時期の3世紀後半頃の築造と考えられている。
20131110_35.jpg

最終目的地まで来たところで本降りになってきた!!
降水確率90%予報に、よくぞここまで持ってくれた!!
段々雨脚が強くなる中、前日に気になっていた三輪そうめんの山本へ急げ~!
温かい三輪そうめんをいただいていると、外は土砂降り!
20131110_36.jpg

少し弱まった雨の中、カッパを穿いて巻向駅まで歩く。
電車で天理へ戻り、宿で荷物を受け取って再び電車で櫟本へ。
高速バスは渋滞ゼロで快調に帰着~

結局、山の辺の道は檜原神社~西山塚古墳間を残す結果になったが、次回のお楽しみだ(^^)
2013-11-15 23:08 | カテゴリ:
山の辺の道。
昨年、大神神社~檜原神社まで歩いただけで、まだまだ先を残していた・・・

11/09~11/10、三輪~石上神宮までの踏破&三輪山への登拝と、周辺の古墳群めぐりを目的に再訪。
天理への到着時間と、翌日の天候を考慮し、1日目は三輪山登拝をメインとした。

まずは大神神社へ参拝し、道中の安全を祈願。
大神神社は、拝殿奥の三輪山自体をご神体とし、本殿を持たない。 元々は拝殿もなかった。
三輪山の背後から日が昇り、聖なる山として崇め祀られたことからご神体となったらしい。
表からは見えないが、拝殿と三輪山の間には三ツ鳥居がある。
因みに、三ツ鳥居を見るには申込が必要で、神職の方に案内していただける。
鳥居の中は禁足地で、繞道祭の際に宮司が踏み入る以外に何人たりとも入ることは出来ない。
昨年見たので、今回はスルーしてご朱印を頂き、狭井神社へ。

20131109_1.jpg 20131109_2.jpg
20131109_3.jpg 20131109_4.jpg

三輪山は標高467m、神様が宿る神奈備であり、許可なく入山することは出来ない。
狭井神社で登拝の申込みをして、許可証となるタスキ(?)を掛けて登拝する。
登拝口から先は、写真撮影、飲食(水分補給は除く)、喫煙など、一切禁止だ。
山の全容はなだらかな部分もあり、緩やかかと思いきや・・・結構しんどい。
往復2時間、汗だくで膝ガクガク&足全体プルプルになったが、とても清々しく心穏やかになった。
ご朱印とご神水を頂き、檜原神社を目指す。

途中、前回スルーした龗神(りゅうじん)神社へ立ち寄る。
水を湛えた池越しに拝する。
20131109_5.jpg 20131109_6.jpg

大神神社~桧原神社までの道は、人ひとりしか通れないほどの道幅のところもある。
ここは、一番好きなとこ。ちょっとお城の遺構にもありそでしょ(笑)
↓↓
20131109_7.jpg

檜原神社は大神神社の摂社で、天照大神をご祭神とする。
天照大神が伊勢神宮へご遷幸されたことから「元伊勢」と呼ばれ、ご遷幸の際に託された豊鍬入姫命が末社に祀られている。
本殿、拝殿を持たず、三ツ鳥居がある。
ここから見える二上山、日が沈む方向にあるため死の山とされ、西麓には多くの墳墓があるそうだ。
(後日教えて頂いたが、山頂には二上城があったそうだ。遺構も残っているとか♪)
夕景のスポットらしいので、夕陽を拝みたいところだが、ご朱印を頂いて先へ急ぐ。
20131109_8.jpg 20131109_9.jpg

「大和の青垣」の風景。前回はここまで来たんだなぁ。
先へ進みたいが、明日の天気を考慮して山の辺の道を離脱する事に。
20131109_10.jpg

一旦檜原神社へ戻って、さぁ、ここからは時間との勝負だっ!
これも古墳♪あれも古墳♪みんな古墳♪きっと古墳♪
途中、名前もわからない古墳であろうものをいくつか見ながら進む。
20131109_11.jpg 20131109_12.jpg

村社国津神社へ立ち寄る。
村社ながら、国津神がい~っぱい祀ってある!
20131109_13.jpg

そのすぐ近くにあるホケノ古墳。
豊鍬入姫命の陵墓と伝わっているらしい。
20131109_14.jpg

ちょっと小走りで進んで行くと・・・
来たぁ~!!箸墓古墳♪
道路が古墳に沿ってカーブしているので、古墳の形がよ~くわかる!!
うはぁ~っテンション上がるよぉ~♪前方後円墳のくびれに萌え~♪
と、ここで思った・・・古墳と同様、城も形がわかることが楽しいのだ!と。今更ですが(笑)
20131109_15.jpg 20131109_16.jpg

沈む夕陽を横目に、反対側へ走る~
これこれ!よく見る箸墓古墳の構図だ!
20131109_17.jpg 20131109_18.jpg

暗くなる前に、箸墓古墳が見れてよかったぁ~♪
宿へ戻って、お風呂&食事を済ませ、早めの就寝で1日目終了。
2013-11-12 23:40 | カテゴリ:
何年前だったか?長野県松本市へ遊びに行った時、かわいらしい手まり柄のマンホールの蓋に出会った。
そして、市町(だけか?)によって蓋のデザインが違う事に気がついた。
それ以来、お出掛け先で路面を目で追い、マンホール探しw
そんな事してるのは私だけかと思っていたら、私の周りにもマンホーラーはいっぱいいらっしゃった(^^)

先日行った奈良県天理市でも路面をキョロキョロ、特に変わった絵柄でもなかったので画像も撮らず・・・
すると、山の辺の道を歩いている時にキュンキュンなマンホールに出会った!!

人のような絵柄と、龍のような絵柄。
人は天使?いやいや、山の辺と言う場所的に神様?イシュタルかっ!?とテンションあがるぅ~♪
 ↓↓↓↓↓↓
yamanobe_futa.jpg

散策した範囲は狭いが、局所的にしかなかった絵柄。山の辺の道の、限られた場所にしかないのか???
ん~、何を現しているんだろ~!?と気になりながら散策を続け、黒塚古墳へと向かった。

黒塚古墳はとてもキレイに整備されており、資料館も併設され、ボランティアガイドさんもいらっしゃる。
休憩も兼ねて資料館内に入り、ボランティアガイドさんに発掘された石棺の復元の説明を受けた。
そして、2Fに展示してある銅鏡のレプリカを見ていたら・・・
な!な!なんとっ!!マンホールの蓋とそっくりの銅鏡があるではないかっ!!!!!
興奮気味にマンホールの話しをすると、この「三角縁神人龍虎画像鏡」をモチーフにしたものだとわかった!
 ↓↓↓↓↓↓
dokyo_2.jpg

人は神様で、龍のようなものは、龍と虎だったのだ!!
見てきたばかりの謎のものが、たまたま立ち寄ったところで判明するなんて!!
異様にテンション上がりまくり!!
いやぁ~っ、マンホールの蓋でこんなに興奮したのは初めてだ(笑)

因みに、この黒塚古墳は天正8年に織田信長によって破却された柳本城があった辺りで、戦国時代には砦として使われていた。
柳本城破却後、元和2年には織田長益(有楽斎)の五男尚長が陣屋を構えている。

kurotuka.jpg
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。